エッセイというのは
作家の特権
エッセイを読むのがけっこう好きです。特に文章のうまい作家の方が書いたものは絶妙な味があると思います。
今みたいにネットが普及するようになる前の時代は、エッセイと言ったら、高名な作家の余技みたいな感じがしていました。というよりも、一般人には、そのような文章を書いて公表するには、自費出版くらいしか道は無いという感じでした。
今は、ネットがあり、ブログを使えば、すぐにでも自分が書いた文章を公表できて、しかも検索エンジンなどからそれを読んでくれる方がいらしていただくことができたりもします。有名、無名にかかわらず、文章ありきの時代になってきたのかもしれません。
読者を想定して文章を書く
ブログやホームページのようなネット上の媒体に文章をアップするということは、自分以外の読者を想定して文章を書くということを意味します。日常から少し離れた感覚です。
自分で読み返してみることも、客観性を求められます。他の人が読んだならどのように伝わるだろうかとか、伝わりにくいところがあるのではないかなど。そして、自分だけの覚書き程度の文章と、誰かに伝えることを目的とした文章とでは、クオリティーにおいて、かなりの違いが出てくるのではないかと思います。
すなわち、昔の作家を気取って、自分が考えたことを誰かに伝えることができる。そんなことを誰でもが無料で達成できる環境にすでにいるということです。自分が書いた文章そのもので、いくらでも勝負できる世界であり、評価されるに足る文章を書けたなら、アクセスを呼ぶことができると思います。
もちろん色々な要素が絡み合いますので、すべてが考えどおりに行くとは限りませんが。でも、ネット以前の時代には、想像することもできなかった恵まれた環境に生きていることはまちがいのないところです。ひたすらに文章を書いて発表できるということに感謝する次第です。
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